石の城「丸亀城」

名称:丸亀城(現存天守、大手一の門、大手二の門は重要文化財)別名:亀山城

探訪日:2020年2月21日

所在地:香川県丸亀市

標高:66m(平山城)

比高:--

築城・廃城

 室町時代14世紀頃に、管領細川頼之重臣の奈良元安が亀山に砦を築く。

 慶長2年(1597)豊臣政権の時代、生駒親正がさぬき17万石を与えられ高松城を本城とし、亀山に支城を築き慶長7年、6年の年月を要しほぼ現在の城郭が完成。元和元年(1615)一国一城令により破却の危機にさらされるが、藩主生駒正俊は要所要所を樹木で隠し立ち入りを厳しく制限して城を破却から守った。

 寛永17年(1640)、生駒氏がお家騒動のため出羽国矢島(由利本荘市)に転封となり、寛永18年(1641)肥後国富岡(熊本県天草郡苓北町)から山崎家治が5万石で入封し、丸亀藩が成立。寛永20年(1643)城の改修に着手。幕府は丸亀藩に銀300貫を与え参勤交代を免除し突貫工事をやさせた。これは幕府が瀬戸内の島々にいたキリシタンの蜂起を抑えるためともいわれる。

 万治元年(1658)山崎氏が3代で無嗣断絶し改易となり、京極高和が播磨国龍野から6万石で入封し、明治時代まで京極氏の居城となった。

 亀山(標高66m)を利用し縄張りはほぼ四角で亀山の廻りを堀(内堀)で囲む渦郭式の平山城。石垣は野面積みと端正な算木積みの土台から、頂は垂直になるよう独特の反りを持たせる「扇の勾配」と呼ばれる。山麓から山頂まで4重に重ねられ、合わせると60mになり総高としては日本一高い。三の丸石垣だけで一番高い石垣は22mある。(単体で日本一は大阪城の33m、次は上野城の30m)
 天守は江戸時代1660年に建てられた御三階櫓が現存。高さは15mで現存天守では最も小規模。重要文化財に指定されている大手門(一の門、二の門)とともに天守が現存するのは他には弘前城と高知城のみ。

 平成30年の7月豪雨や10月の台風24号の影響により、丸亀城跡の南西部に位置する帯曲輪石垣と三の丸坤櫓跡石垣の一部が崩壊し、復旧工事が行われている。

 

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